柏崎克彦『無我夢中 柔道に育てられて』ベースボール・マガジン社

国際武道大学名誉教授である著者は柔道競技における稀代の寝業師。1980年モスクワ五輪65キロ級日本代表だったが、政府がボイコットし派遣されなかった。

本書は半生を振り返った自伝で、もう一冊がQRコードで封入されている。名著『寝技で勝つ柔道』(1998、ベースボール・マガジン社、以下『寝勝』と略記)の動画版(2007)である。

 一読して驚くのが、一流選手にしては珍しい競技成績だ。岩手県久慈市の三船記念館に所属した小学校時代、勝てなかった。中学校時代も県大会に進めなかった。久慈高校時代には3度腕を骨折し、背負投が使えなくなった。

 普通なら競技を変更するところ、著者は逆に「柔道の虜」となった。試合のイメージトレーニングや寝技の仮説検証に没入したのである。「技術もさることながら、本人のやる気を上手に引き出す」二人の恩師に、三船記念館と久慈高校で出会ったからだ。

 大学からはスカウトされず、柔道部でも「一軍」の寮に選抜されなかった。この時期に『寝勝』の骨子は完成した。卒業後、茨城県の県立多賀高校で教員となり、全日本体重別を4度制し、五輪代表にも選ばれた。柔道部は白帯ばかりで日常は「一人稽古」。乱取りは週一度、汽車に乗っての出稽古だった。一線の柔道家ではありえないが、秘訣はこの環境を不遇ではなく「有利」と理解したことにある。この心理操作が本書の白眉だ。