毎日新聞「今週の本棚」 2025.1.18
松隈洋『未完の建築 前川國男論・戦後編』みすず書房
前川國男(1905-1986)は「近代建築のひとつの頂点」(加藤周一)と評される京都会館(1960年竣工)や「音楽の殿堂」東京文化会館(1961)等、多数の作品を設計し日本の建築文化をリードした大建築家である。本書は晩年の事務所に6年間在籍した著者が、『建築の前夜 前川國男論』に続き足跡をたどる戦後編。
没後には前川のモダニズムを冷笑するかのようなポスト・モダニズム建築が流行った経緯がある。著者の前川論が併せて1100ページを超える大部となったのは、前川建築の秘密を解き明かし、前川への批判が有効でないことを論じたからである。
戦後で圧巻なのが、前川が建築技術を進化させていく1970年ころまでのモダニズムの進展だ。高性能軽量資材を追求、鉄筋コンクリートからサッシュ、ガラス、タイルまでつぶさに検討した。漏水や汚れやすさといった欠点が生じれば修正し、炻器質タイルを打ち込む構法に到達して、おおらかで自然な美しさを獲得した。この構法により、岡山県庁(1957)や熊本県立美術館(1976)の壁には独特な温かみがある。
一方、設計上の技法として、戦前から引き継いだ「空間構成」がある。前川は「日本的なもの」として日本画の「余白」、すなわち図と地の関係を見る。敷地内に引き込まれる「建築外的空間」と、敷地の外へと広がる「環境的空間」を有機的にむすびつけ、全体の空間を構成した。さらに戦後になると、人の歩みによって内外の風景が流れるように展開する「一筆書き」の技法が開発された。その到達点として実現したのが埼玉県立博物館(1971)で、その場に立って初めて体感しうるため写真には撮影しづらく、包み込まれるような空間構成となった。
前川が魅力的なのは、建築は目立つだけの、たんなる商品にはなりえないと洞察したからだ。前川は建築家に「人間的な温かみ」を付加する配慮を「社会的使命」として求めた。そうした使命を不要とみなすポスト・モダニズム建築は商品化に走りやすく、「嫌なもの見てしまった」と評する人もいる。