毎日新聞「今週の本棚」 2025.5.3
渡辺利夫『大いなるナショナリスト 福澤諭吉』藤原書店
福澤は明治日本で国民の権利と自由を守る「近代国民国家」の建設に道筋を与えた、というのが政治思想周辺の通説である。それに対し本書は原文と平易な現代語訳を多数引用、福澤自身の言葉で通説を覆し、その多面性を浮き彫りにしている。
開発経済学の専門家でもある著者には、『文明論之概略』(明治8年)で福澤が文明開化の理想のみ論じたとするのはイデオロギーに偏した読み方に映る。著者は現実主義者でもあった福澤が、結論部では「国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり」と転調した点に注目する。
福澤は独立を守る精神の根源を武家社会の士風、士魂に求めたとみなすのである。文明化と富国強兵を主導した大久保利通や岩倉具視の専制は武士階級を無情に切り捨て、日本は後にみずから帝国主義者の側に立つことになった。進歩には新機軸のみならず、古き良き慣行や排除される側への共感が求められる。
福澤は過去世代との連帯を訴えたがゆえに「大いなるナショナリスト」であった。