渡辺利夫『大いなるナショナリスト 福澤諭吉』藤原書店

 福澤諭吉は幕末を33年、維新後を33年間生き、「読書渡世の一小民」として健筆を振るった。幕末に欧米へ渡り、科学技術を学び社会制度を観察。塾頭であった蘭学塾を慶應義塾と改名、思想書を出版し、明治15(1882)年以降は創刊した『時事新報』紙上で時論を担った。

福澤は明治日本で個人の権利と自由を守る「近代国民国家」の建設に道筋を与えた、というのが政治思想周辺の通説である。戦後的民主主義の祖先という理解である。その立場からすれば、儒教を中心とする封建時代の旧慣は捨て去るべき遺風である。

 それに対し開発経済学の専門家でもある著者には、『文明論之概略』(明治8年)で福澤が文明開化の理想のみ論じたとするのはイデオロギーに偏した読み方に映る。本書は原文と平易な現代語訳を多数引用、福澤自身の言葉で通説を覆し、その多面性を浮き彫りにしている。

 福澤は独立を守る精神の根源を武家社会の士風、士魂に求めたとみなす。廃藩置県や江戸城無血開城を断行し明治維新の立役者となった西郷隆盛は、西南戦争で不平士族とともに死を選んだ。

 福澤は明治10年の『丁丑公論』(公表は34年)で擁護の論陣を張り、西郷が士族を重んじたのは世襲の家禄ゆえではなく、旧慣である気風によるとした。士風とは一身を賭して正義を説き続ける武士のモラルである。

 文明化と富国強兵を主導した大久保利通や岩倉具視の専制は武士階級を無情に切り捨て、日本は後にみずから帝国主義者の側に立つことになった。進歩には新機軸のみならず、古き良き慣行や排除される側への共感が求められる。福澤は過去世代との連帯を訴えたがゆえに「大いなるナショナリスト」であった。