ナヒド・アスランベイグイ、ガイ・オークス著、安達貴教訳『ジョーン・ロビンソンとケインズ』慶應義塾大学出版会

本書は一介の教員夫人であったJ.ロビンソン(1903~1883)が国際的な 名声を得てJ.M.ケインズ(1883~1946)の側近に成り上がるまでを、膨大な書簡で描く伝記である。標的を狙って外さない巧みなキャリア形成戦略が私信で明かされ、聖女のごとく称えられてきた女性の素顔が露わになる。

驚くのは、ロビンソンが登場してからの年月の短さである。彼女は1930年にはケンブリッジ大学の新任教員オースティンの妻でしかなかった。それが経済学の勉強を本格的に始めると三年後には歴史的名著『不完全競争の経済学』を出版、ケインズが『一般理論』をまとめるに当ってはコメントする役割を掴み取り、翌1937年にはその解説書と入門書を続けて出版、「ケインズ革命」を演出している。

 1920年代のケンブリッジは性差別的な学問環境にあり、女子学生は学位を取得できず、事務職まで女性を排除するイギリス唯一の大学だった。教員は大学内のカレッジに住み込み、談話室で個人指導し、お気に入り学生に声かけて週末の朝食やアフタヌーン・ティー、遠足にまで誘い出して、討議し続ける同性愛的な気風があった。その中で立場は批判しても人物は批判しないというリベラルな人間関係が培われた。そこに乗り込んできたのが「小悪魔」で「極悪非道」なロビンソンだった。

 夫のオースティン、ケインズの愛弟子R.カーンと三人の勉強会を開始する。カーンの部屋で二人でも会い、数学の手ほどきや未公刊のアイデアをもらい受け、「向こう見ずな情事」にまで突き進む。「僕は君のためなら何でもする」と口走る二つ下の男を手玉に取り、やがて単独で渡米したカーンは、刊行直前だったロビンソンの『不完全競争の経済学』をハーバード大学でA.シュンペーターに絶賛させた。

宇沢弘文先生はゴシップが大好物で、飲みに誘われるとさんざん聞かされたものだが、真偽は定かではない。その点、本書は実在する書簡から事実を並べている。これが業績として扱われるのかは分からないが、学術であることは間違いない。