毎日新聞「今週の本棚」 2023.1.28
高木久史『戦国日本の生態系 庶民の生存戦略を復原する』講談社メチエ
「文献史学の方法論による構造的問題」が存在する。文字記録は客観性が高いが、現存する文字記録の範囲内で歴史を復元しようとすると、文字で記録された武将や寺社の権力者だけが歴史を動かしたように見え、文字に記録されない庶民の暮らしには想像が及ばなくなる。
この問題はすでに1970年代に指摘されていた。文献資料だけから「平安時代になると・・俗人一般のなかに、『そうじもの』(精進物)が料理として登場」したと述べる著名料理文化論者を近藤弘という食物味覚研究者が糾弾し、俗人一般の料理は上層のおこぼれではない、日本列島の味覚文化を支えたのは人口の90%を占める民衆だ、と主張している(『日本人の味覚』中公新書、1976)。
この著名料理文化論者は上層の日本料理を世界文化遺産に申請したが拒否され、ユネスコは「和食」に民衆の料理を選んだ。
15世紀後半から16世紀にかけての「戦国時代」は遙か彼方にある。それに対し著者は、納税や訴訟等の文字資料を起点とし、そこに植物学、水産学、建築学、林業史、窯業史の知見や考古学調査を付け加え、大胆で緻密な推論を展開する。対象は「越前国極西部」、福井県西南部で越前海岸沿いの30~40kmとその内陸の山村で、中世日本において庶民が自然や環境という「生態系」から受けた恵みとしての「資源」をいかに活用し生き延びたかという「生業」(ナリワイ)論である。