毎日新聞「今週の本棚」 2022.7.16
フランシス・フクヤマ『「歴史の終わり」の後で』中央公論新社
エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』文春新書
安全保障は軍事力だけで構成されるわけではない。ウクライナとロシアをめぐり、政治経済体制はどう論じられてきたのか。対照的な2冊である。
『歴史の終わり』(1992)は自由民主主義に対する楽観論を唱えたかのように読まれたが、フクヤマの力点はむしろ自己に対する承認の欲求(プラトンの「テューモス」)が満たされないときに紛争が起きることにあった。個人の権利や国民の平等は承認欲求を満たすため、自由民主主義が理想とされた。
それらは米国では新自由主義により弱体化されてしまい、果てに登場したのが「人間に望まれる性格の特徴すべて」に背くトランプ大統領であった。みずからに制約をかける裁判所やメディア、選挙を破壊していったトランプが支持された理由も、民主党が推進したアイデンティティ政治によってゲイ等特定集団が優遇されたと感じる層の承認欲求であった。
フクヤマがアメリカに対する深い憂慮とは対照的に希望を見出すのが、「収奪政治と権威主義政府がロシア的に混ざり合った状態から脱却」しつつあったウクライナだった。幾度も現地を訪れ、指導者養成プログラムを後援して、民主主義国家の建設を手助けした。「最終的にこの問題(注:クリミア併合とドンバスへの侵攻)を解決するのはウクライナの人びとだと思っています」と見通しを述べる。
一方、ウクライナがアメリカとイギリスの手を借り武装したのはクリミア、ドンバスの奪還のためとするのがI.トッドで、看過できないロシアが手遅れになる前に叩いたのが今回の侵攻だという。アメリカ離れを勧める「日本核武装のすすめ」(『文藝春秋』2022年5月号)を軸に、「第三次世界大戦はもう始まっている」という刺激的なタイトルで情勢を診断している。
「近代以降の各社会のイデオロギーは農村社会の家族構造によって説明できる」と唱えるトッドからすれば、自由民主主義が健在だったのはせいぜい1975年まで。それ以降はアメリカでも格差が広がり、選挙に膨大な資金を投入する金権政治では他国の民主主義を云々する資格などない。不平等に歯止めかからないのは「絶対核家族」だからで、ロシアとは「リベラル寡頭制」対「権威的民主主義」と対比される。
ロシアへ制裁しなかった国の分布地図が驚きで、父権性の強い地域にかなり重なる。自由民主主義の理想は家族幻想に勝てるのだろうか。