私の専攻は社会経済学、経済思想ですが、もっと絞ると消費論を起点とする経済学です。

しかし現在の主流派経済学は、消費は所得の関数であるとか欲望を満たす合理的な選択だとかいう形式的な説明しかしていません。

そこで消費をリアルにとらえるにとらえるとはどういうことか、を追究してきました。

過去の消費論から経済学を見直すと、ヒューム、ヴェブレン、消費社会論やマーケティングという系譜が浮かびます。彼らは消費を軸に据え、社会経済を論じてきました。そこで消費論として『消費資本主義のゆくえ』を書きました。

消費を見つめると、生産とは別次元のものとして需要をとらえることになり、需要が供給と乖離すればその間をつなぐ貨幣についての考察が必要になります。スチュアート、ケインズ、ミーゼス、ハイエクといった経済思想をたどることになったのはそれが理由です。『経済思想入門』、『経済学の古典30』がそれに当たります。

需要が供給から独立すると、生産活動を不確実性が覆います。『経済政策』はそうした資本主義の根本問題に立ち返って経済政策をとらえ返しています。

また消費はフローとしての経済活動だけでは語れません。消費には身体や建築・街並みがかかわってもいます。そこで『喪われた景観』、『武道を生きる』を書きました。

さらにそれらは実践活動でもあります。無電柱化運動は小池百合子氏との『無電柱革命』、建築物を建造する実践は『書庫を建てる』、飲食を通じた街とのかかわりは『阿佐ヶ谷どうでしょう。』でレポートしています。

過去に蓄積された実践知を継承するのが保守主義であるとすれば、『森山威男 スイングの核心』は日本におけるフリージャズの技術そして映像のミッシング・リンクを記録するものです。

私はヒュームにならい、消費とは身体を用いる社交と考えています。拳を交える社交、建築家・ジャズマン・飲食店との社交といった具合にです。