普遍と特殊 第3回 小泉文夫から『中央線文化としてのフリージャズ』へ

家屋について藤井厚二が、工藝品について柳宗悦が行ったのと同様の「欧米の模倣」批判は音楽分野にも共鳴し、小泉文夫が民俗音楽の比較研究を踏まえ日本における音楽教育が西洋クラシック音楽に偏重することを批判した。

その際、小泉は、日本音楽の特徴として、4つの音階と核音の概念を提起した。これによれば、西洋音楽もまた絶対的なものではなく、西洋人の魂を揺さぶるひとつの音階として相対化される。

これを受けた山下洋輔は、ジャズを「ポップス」というもう一つの絶対的なものではなく、アメリカ大陸における西洋音楽とアフリカ音楽の激突ととらえ、それがアフリカ系黒人社会にとって魂を揺さぶるものと考えた。

ならば日本のジャズはどうあるべきか。山下洋輔は日本音階にヒントを得つつ、「手癖」で独自の演奏を行った。森山威男もまた、クラシックでもジャズでもないが故郷を思わせるリズムをたたき出した。彼らが中央線沿線で紡ぎ出した日本的としか言いようのない「絡み合う」フリージャズは、小泉文夫の提起を正面から受け止めるものであった。

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