井上章一『日本の醜さについて』幻冬舎新書

「醜い」とは街並・景観の意。
こうした問題から目をそらせてきたのが社会科学者だったと言う。日本人の集団主義は封建制の残渣ゆえで、個人主義こそ確立せよ、と。
これに対して著者は、周囲を無視して好き勝手に建築する日本人はよほど個人主義的で、いまだ爵位を持つ人が存在し地権者の自由を制限する西欧は集団主義的だと指摘する。

著者らしく肩の力が抜けた新書だが、見逃せないのが安吾「日本文化私観」について。
「精神さえすこやかであれば」「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」と述べて喝采を浴びたというのだが、これは西部邁氏の保守主義にも通じる主張。保守は何を守るのか、考えさせられる。