出稽古日記 第24回 真武術連盟

 川保天骨という人物がいます。

 初めてお会いしたのが1990年の春、大道塾の平和台本部道場だったから、もう30年近く前のこと。当時、本名の多田英史を名乗っていた彼は確か大学生で、もっとも荒っぽい稽古をしていた頃の常連でした。

 なかでも荒っぽかったのが市原海樹さんで、毎晩の稽古で誰かが倒れたり血を流したりしていました。私が初めて目撃した多田さんは確か黄帯。藤原敏男の8の字ステップなどを取り入れていたと記憶しています。中量級で優勝し、一線の選手でした。

 そんな多田さんは25歳で選手を引退すると、カメラマンになり、こんな姿になって川保天骨を名乗るようになっていました。